Thursday, September 20, 2018

ケールとお肉から作られたモダニティ [1]

今回のポストに、「ケールとお肉から作られたモダニティ」というトピックの誕生について話したいのです。四つの質問を答えながら紹介します。

① 本当に、どんなトピックを選んだか?

「ケールとお肉から作られたモダニティ」と書いてあっても、やはり「意味不明」、「曖昧」との印象を与えます。実は話したいのは、個人的な食べ物の好き嫌いがどうやって食文化の移り変わりを反映したり、多様な社会の「モダニティ」へ進む旅と繋がったりするか、そして様々な世相がどうやって国民一人一人の食の好みに見えるかということです。

② そのトピックについてどんなことを書きたいか、それはなぜか?

ケールがお好きですか?

それとも、お肉のほうがお気に入り?

考えてみようよ、「今日は何を食べるかな」という質問を受けたら、心に思い浮かぶ答えは何ですか?

そして、なぜその答えにしましたか?

例えパスタ、ピザが食べたいと答えてくれた日本人の方々がいれば、お伺いしたいです。今からタイムマシンで皆様を「モダン・ワールド」から江戸時代に運ぶとすると、同じ答えが出せると思いますか?

無理でしょう。

なぜならば、日本と西洋、特にパスタとピザの故郷と言われるイタリヤとの外交関係と貿易が存在しないことには、パスタとピザの意味も分からないはずで、「パスタとピザ」と答えることももちろん無理ですから。

同じくて、南北戦争時代のアメリカ人に聞いたとしても、多分「お好み焼き」なんかの返事をしないでしょう。

社会の変化にしても外交関係の発展にしても複雑な話題でブログに説明しにくいです。だから、時代につれて変遷するし、国際関係の展開とも関わっている食文化についての話をもとに、「モダニティ」を目指し「民族国家」に向かって、とうとう国際社会に登場した日本の歩みを分かりやすく紹介したいと、私はそう思っています。

もちろん、一口に食文化といっても、実は多くの物事が含まれています。具体的に言えば、このブログに検討したいのは、今北アメリカに注目され、健康ブームに乗っている若い者に大人気のケールと仏教伝来以降の日本にだんだん敬遠されたお肉(特に獣肉)に関わるものです。

ケールはどうやって野菜の王様になり、「健康な生活」の象徴として認定されるようになったのですか?
獣肉を食べるのはダメだという認識はどうやって近世の日本(主に元禄以降、明治以前)に登場した・退場したのですか?

いっしょに考えましょう!

③ ブログを読みに来た皆様に、何を一番伝えたいか?

私、大した野望を持っていないけど、このブログを読んでから買い物に行って、ケールとお肉を見たとき、「さあ~~ケールとお肉を両方とも見える、それはそれは時代が変わったものだ」と言ってくれれば、光栄だと感じますわ~(笑)

冗談はさておき、正直にいえば、元々歴史というものは、私たちのような平々凡々な人々で作られたものなんです。「モダニティ」を含め、人間社会の進歩とその進歩に隠れる闇は、私たちの飲食にさえ見える。

このブロブを読んでからこういう批判的な考えができてくれれば、嬉しいです。

④ ブログを読みに来た皆様にとってどんなメリットがあるか?

さあ、ケールとお肉を食べるのが好きになって、もっと体にいい生活を送れるようになる?って、そういうメリットではないのです!

小さなことから、大きいな考えへ。当たり前だと考えられている「常識」
を批判的に、理性的に検討する能力を身に付けるのに、このブログが役にたったら嬉しいと思います。

(因みに、母語が日本語ではないので、文法的な間違いと言葉の不自然な箇所がいくつも出てくるかもしれないが、どうかご勘弁ください)

Sunday, September 16, 2018

ケールとお肉から作られたモダニティ [0]

はい、タイトルに示すどおり、江戸と明治時代の日本における獣肉食に関する歴史と今のアメリカでは注目される人気な野菜・ケールについてのブログです。

今は歴史学のPhDを目指して大学院で勉強しています。そして、専門分野で関心するテーマと言えば、やはり「モダニティ」が一番興味深くて、詳しい検討に値すると思います。

東アジア諸国は、一体どうやって王政から近代民族国家に転換してきたかと、歴史的観点から見れば、これは「何年何月にXX政権が成立にあたって、…」と簡易に結論できることではないのです。モダニティというのは、科学技術の発展や経済・政治についての制度の進化に繋がるコンセプトだけではなく、人々と市民社会の抱えている認識とも関係が深い。

さて、ケール、お肉と「モダニティ」はどんなふうに繋がっているのですか?ケールとお肉でモダニティを作られるのですか?(っえ?塩も要らない?)なぜこの平々凡々な私がこういう「非凡」な(=変な)タイトルでブログを作りたくようになりましたか?

では、次の記事をお楽しみに。

(因みに、母語が日本語ではないので、文法的な間違いと言葉の不自然な箇所がいくつも出てくるかもしれないが、どうかご勘弁ください)